気仙沼・鹿折交差点付近。(地震と津波と火災にあった場所) |
1月の18日より岩手県に行って、社協、教育委員会、ボランティアの皆様そして秋田県からもわざわざ足をはこんでいただきいろいろなお話をうかがってくることになりました。
大船渡市、久慈市、野田村、海岸線沿いに訪問します。今回は写真保存のことだけではなく子どもたちとの交流についても企画をお話してまいります。
今朝(1/14)のニュースにもありましたがボランティアが激減し色々なことが滞っているお話がありました。岩手の上の方の地域には復興どころか瓦礫の整理もままならないところがあるんだそうです。
私が岩手にご縁をいただいたのは先月写真家のマグダレーナさんと宮城を廻り盛岡まで送って行った時のことでした。
たまたま岩手自衛隊の取材に同行する機会をいただきある若い女性隊員のインタビューを聞きました。
〜震災後1時間で救援の準備をし、津波の被害にあった町に到着したのが真夜中。はじめは生存者の捜索のはずでしたが現実には遺体収容。グループは彼女以外全員男性。彼女はどうしても女性のご遺体は男性に触って欲しくなく、瓦礫を男性隊員に持ち上げてもらい自分が中に入りできる限り衣服の乱れを直し顔の泥をぬぐい収容したのだそうです〜
またある女性隊員は
〜とても悲惨な状況の中、家をなくし、家族を亡くし,それでも声をかけてくれお礼を言われた。たくさんの方に励まされた。私たちは毎日毎日心の中で泣いていた。皆さんの方が大変なのに優しい越えがけが嬉しかったのと、何もできないことが悔しかったのと・・・〜
まだまだ日本もがんばれます。そして彼女達のように強くて優しい人がたくさん現れるようにやれることがまだまだたくさんあることに気づきました。
盛岡は最低気温がマイナス12度。震災後初めての本格的な冬を迎えています。
報告しなければいけないことが山積みになっているのですが12月の南三陸、気仙沼、陸前高田で行けども行けども視界が開けてくると同じような光景という自然の驚異に頭の中が混乱し何を書けば良いのか解らないままになってしまっています。
もうしばらく頭の中で温めさせて下さい。よろしくお願いいたします。
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